いじめ
あれは、小学校4年生頃だったと思います。
(ずいぶん昔のことで、小さい記憶違いがあるかもしれません。)
Aさんという女子がリーダーでそのとりまき4人位がいて、なぜかクラスの女子は、その人たちに従う雰囲気が出来てしまったんです。
そして、おとなしく、ちょっと暗いタイプのBさんがいじめの標的になって・・・。
Bさんは、「汚い、くさい」とか言われ、仲間はずれにされてました。
結局、あまりのことにクラスの誰かが担任の先生にいじめのことを話し、驚いた先生がそのAさんととりまきをみんなの前で激しく叱責されたのです。
(このことから、いじめがあったのを学校が知らなかったというのはありうると思ってます。ただ、きちんと調査すれば、生徒の話からいじめの実態は浮かびあがるでしょう。)
あまり声を荒げたことのない女性の先生でしたが、この時の激怒ぶりは今でも覚えているくらいです。
Aさんに「私は女王様です」という札を持たせ、とりまきには「私は家来です」という札を持たせ、教室の黒板の前に並べた(生徒の方を向いた)机の上に座らせ、こんこんとお説教されたのです。
(今なら、逆に「やりすぎだ」とクレームが来そうですよね。)
もちろん、叱責はAさん達にだけではありません。
先生の怒りは、今までそれをさせていた、クラス全員に対してのものなのです。
物音一つせず静まり返った教室の中で、先生の厳しい言葉を、誰もが重く受け止めていたと思います。
それからいじめはなくなり、Aさんもとりまきも、クラスの普通の一女子になりました。
「昔はいじめなんてなかった」「今のいじめは昔に比べて陰惨」なんて言う人もいるけど、それは嘘。
昔もいじめはあったし、いじめられる方にはどんないじめ方だって陰惨に決まっている。
違うのは、今はマスコミが発達して、いじめ=自殺の図が出来上がっちゃったことだ。
三十数年前のBさんも、今の時代なら自殺していたかもしれない。
そして、三十数年前のBさんが自殺しないですんだのは、本気で自分を守ってくれる先生がいたってことだ。
ところで、三十数年前の私はその時どうしていたか・・・
いじめに加担こそしなかったけど、見て見ぬふりでした。
そしてそれは、今でもずっと心の中に小さなとげとなっている。
見て見ぬふり、それはいじめに加担しているのと同じだ。
なぜあの時、いじめを止めようとしなかったのか。
いじめの矛先がこっちに向くのが怖かった、というのもあると思う。
でも・・・
あの時何もしなかった自分がひどく情けなくてしょうがない。
いじめについて、訳知り顔で良識ぶったことを書こうとしても、「あの時見て見ぬふりをしていた自分」を思い出すと、とたんに筆が重くなる。
私にそんな資格があるのかと。
とりとめなく書いてしまったけど(あえてとりとめなく書いたのだけど)、いじめの話題があるたびに、この出来事を思い出す。
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